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【生い立ち】青葉真司の学歴・経歴を調査!歪んだ性格は父親、兄、妹の自殺が原因?

一方的な私情で京アニに火をつけ、戦後最大の死者を出した放火事件。

まだ記憶に新しいと感じる人も多いと思います。

それくらい忘れられない衝撃的な事件でした。

 

そして今回の放火魔である青葉真司。

 

青葉真司は京アニへの妄想ともいえる勝手な怨恨で犯行に及んだそうですが、彼はどんな人物なのか?

どんな少年時代を過ごしたのか?

 

今回は、青葉真司の学歴や経歴について調べてみました。

 

青葉真司のプロフィール

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  • 本名   :青葉真司(あおばしんじ)
  • 生年月日 :1978年5月16日
  • 犯行時年齢:45歳(2023年9月時点)
  • 出身地  :埼玉県
  • 犯行時住所:埼玉県さいたま市見沼区
  • 血液型  :A型
  • 職業   :無職
  • 推定身長 :約180cm
  • 趣味   :テレビゲーム、鉄道(鉄オタ・撮り鉄)

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青葉真司による「京アニ放火事件」の詳細

2019年7月18日に発生した「京都アニメーション放火殺人事件」の犯人です。

青葉真司は当時41歳。「埼玉県さいたま市見沼区」に在住していました。

 

青葉真司は7月18日の午前10時頃に、京都府京都市伏見区に所在する有名アニメ制作会社、京アニこと「京都アニメーション」の第1スタジオに侵入し、ガソリンを撒き散らし、ライターで引火。

 

爆燃とも言える勢いで火が燃え広がり、建物は全焼はしました。

 

建物の中にいた、従業員70人の内、69人が被害にありその内36人が死亡、33人が火傷などの重軽傷を負う大惨事となりました。

これは、戦後最大の死者となります。

 

その後、通報を受けた警察に現行犯逮捕されました。

 

逮捕された時、青葉真司も重体で生死を彷徨う大火傷を負っていました。

予測死亡率は、なんと「97.45%」だったとのこと。

 

しかし最戦隊の技術と医師達の懸命な治療により、一命をとりとめました。

 

青葉真司を治療した医師は、

「『死に逃げ』させてはいけない」

「その思いが強くて、絶対に容疑者をしなせちゃいけない。」

「それだけです。そこはずっとぶれなかった」

と語っています。

2023年、すでに事情聴取や法廷での裁判も始まっています。

 

下記からは、青葉真司の少年時代からの学歴についてまとめていきます。

 

 

 

~青葉真司の幼少期から小学校時代~

 

1978年5月16日、青葉真司は生まれました。

 

兄弟は、「兄と妹」とそして青葉真司の3人兄弟で育ちました。
(父親、兄、妹はすでに自殺していて、徐々に感情のブレーキが効かない荒んだ性格になっていった)

 

両親は早くに離婚。

 

兄と妹とともに、タクシー運転手だった父親に引き取れ育てられました。

しかし、父親は交通事故を起こし解雇処分。

家賃も滞納するようになり、少しずつ家庭崩壊するようになり、父親は自殺したそうです。

 

青葉真司は、小学校時代は兄と柔道クラブに通っていて活発で明るい一面がありました。

将来は「お金持ちになりたい」と周囲に言っていたこともあったとのこと。

 

明るい一面もありつつも、どこか控えめでおとなしい性格でもあり、友達はあまり多くなかったそうです。

 

小学校時代の同級生は、幼少のころの青葉真司の印象についてコメントしています。

「青葉の家に遊びに行き、彼が好きだという『ガンダム』のアニメを見ました。漫画の話もしたし、2才年上のお兄さん、妹も一緒に公園でサッカーや野球をしました。お父さんの姿を見たことはないですね。あと、青葉からお母さんの話を聞いたこともなかった。それ以外は、“普通の子”という印象でした」

引用元:NEWSポストセブン

 

かなり複雑な家庭環境で育ったことがわかりますね。

幼少期の経験は、今の残虐な青葉真司を潜在的に作った要因のようにも思います。

 

しかしこのころは、多少影がありつつも柔道をやったり、アニメを見たりと、まだ普通の少年だったように見えます。

 

青葉真司、小学校6年生のころには身長は170cm近くあったそうです。

 

12歳の平均身長は約153cmなので、小学生にしてはかなり大柄な体格です。

柔道もやっていたので、横幅も大きく見えたでしょう。

 

当時の写真はすでにメディアで公開されていますが、写真を見ると、短髪で堂々とした爽やかな少年に見えます。

しかしその一方、小学校低学年のころから仲が良かった元同級生は、当時の青葉真司の様子をこのように語っています。

「青葉と遊んでいたのは僕ともうひとりの友だちくらい。何を考えているか分からない、クラスでも浮いた存在の奴でした。同級生と並ぶと頭ひとつほど背が高く、体格も良かった。当時流行っていた『北斗の拳』のラオウと青葉の“ば”をかけて“バオウ”というあだ名で呼ばれていましたね」

引用元:デイリー新潮

 

またこの証言をした元同級生は、青葉真司が住んでいたアパートに行ったときのことも語っています。

「ひと言でいうとゴミ屋敷です。食べ終わったコンビニ食品の容器やゴミ袋が部屋中に散乱していて足の踏み場もないほど。2段ベッドで妹と寝ていましたが、よくこんな部屋に住めるなと衝撃を覚えました。家が貧しかったのは事実で、いつも同じGジャンやトレーナーを着ていた。もうひとつ忘れられないのは彼から“万引き”に誘われたこと。スーパーかコンビニでお菓子を盗もうって。まだ小学校低学年だった僕は、事もなげに万引きを持ちかける青葉に驚かされました」

引用元:デイリー新潮

 

青葉真司は小学校高学年の時には、家庭環境のせいか、少し変わった性格だったようです...

元同級生が「何を考えているか分からない」「クラスでも浮いた存在の奴」と語っているくらいですからね。

 

また青葉真司は極貧生活を送っていて、数十円~数百円のお菓子を買う余裕も無いくらいありませんでした。

毎日同じような服装をしていて、家はまるでゴミ屋敷状態...

10歳になる前から、スーパーやコンビニで日常的に万引きを繰り返す生活を送っていたそう...

 

子供のころから普通ではない劣悪な環境で育った青葉真司。

金銭的にも貧しく、かなりの極貧生活を強いられていたことがわかります。

不良ぶって万引きをしたというよりかは、生きるために万引きをしていたという印象を受けます。

 

両親から愛を受けずに育った子供は非行に奔ることが多いといいますが、青葉真司はその典型的な例かもしれません。

 

~青葉真司の中学校時代~

青葉真司は、金銭的に苦しい極貧生活を送りながら「何を考えているかわからない」と思われつつも、アニメを見たり、柔道に取り組んだりと快活で明るい表情を見えていました。

 

しかし、中学生になると性格は一転。

周囲の証言によると、かなり暗い性格に変わったそうです。

 

青葉真司は小学校から同じ地区のさいたまの中学校に進学。

中学校では、昔から習っていたこともあって兄と同じ柔道部に所属。

 

2歳年上の兄は柔道部の部長だった事から、青葉真司は同級生に対して威張ることもあったとか...

組手をやると、金的蹴りのような反則技を躊躇なくやってくるため、誰も青葉真司とは組手をやりたがらなかったといいます。

「2歳年上のお兄さんが柔道部の部長だったせいか、本人はかなり威張っていた印象です。練習熱心な割に強くはないんですが、サボっている同級生に“なんで練習に来ないんだよ”と注意してくる。あと、乱取り稽古で得意技の内股をかけるときに、相手の金的を勢いよく蹴り上げるんですね。金的への攻撃は反則技なので練習相手と揉めることもしばしば。誰も青葉と組み手をしたがらなかった」

引用元:デイリー新潮

 

中学2年の頃、一家全員で引っ越しをします。

原因は父親でした。

 

父親が家賃を滞納していたため、アパートを追い出されてしまい、引越を余儀なくされることに。

引っ越しというよりかは、家賃を踏みたすために夜逃げに近い形でアパートを出たようです。

「父親は、ほぼ働かずにフラフラしていた。いわゆる“ヒモ”。何番目か知りませんが、奥さんらしき女性もいましたが、彼がフィリピン人女性と不倫したとかで、刃傷沙汰になったという話もありました。結果的に家賃を滞納し追い出されたようです。カネにも女にもだらしない男でした。

 そんな親だから、子供たちのことはほったらかしでしたね。勉強はしていなかったみたいだし、柔道もとっくにやめていました。今で言うネグレクトですよ」(青葉家を知る近隣住民)

引用元:NEWSポストセブン

 

引っ越しについて担任も同級生も知らず、どこへ転校したのか分からずじまいでした。

「担任の先生がホームルームで“おい、青葉を知らないか?”と生徒たちに聞いたんです。みんなキョトンとしていましたよ。学校にも知らせず、突然いなくなったという感じです。仲の良い友だちもおらず、結局、どこへ転校したのかも分からずじまいだった」

引用元:デイリー新潮

 

父親が家賃を滞納したことで、急な引っ越しと転校を余儀なくされますが、性格にも変化が起きたと見られ、青葉真司は学校でいじめに遭うようになります。

 

ほぼ不登校状態で自宅で引きこもりがちになったという情報も見られました。

 

当時の同級生は卒業アルバムの写真を見ても「ほとんど記憶にない」と口を揃えるほどで、青葉真司のことを覚えていない人の方が多かったそうです。

 

今回の京アニの放火事件を知るまで、青葉真司のことをまったく覚えていない。

そのくらい周囲の印象に残らない存在でした。

 



 

~青葉真司の定時制高校生時代~

青葉真司は1994年3月に中学校を卒業。

中学卒業後は、同じ埼玉県内の高校・県立浦和高校の夜間部(定時制)へと進学しました。

 

中学生の時は、引きこもりがちであまり登校していていなかったことから周囲からの印象が薄い青葉真司ですが、打って変わって定時制高校では鮮明に覚えている人もいるようです。

「定時制は1クラスしかなくて、1学年28人で男子のみ。だから青葉容疑者のことはよく覚えてます。定時制では珍しく、彼は中学卒業後にすぐに入学してきて、いつも一番前の席に座って授業を受ける真面目なタイプ。服装はGパンにTシャツ、お洒落とは無縁という感じですね。彼は身体がデカいから『前が見えねえぞ』って、よく後ろにいる僕らヤンチャなクラスメイトにイジられていた」

引用元:文春オンライン

 

中学校にはほとんど通っていなかった青葉真司も、高校からは真面目に通い授業を受けていました。

クラスメイトともコミュニケーションをとり、青葉真司はいじられキャラではあったものの、関係は良好だったとのことです。

 

青葉真司の通っていた高校は夜間だったので、昼間はポスティングの仕事をしていたみたいです。

 

学校の部活もいくつか掛け持ちしていて、野球やサッカーに取り組み、昔のような性格に戻ったように思えます。

高校時代の同級生も変なやつという印象はなかったと語っています。

「昼間はポスティングの仕事をしていたようです。定時制は生徒数が少ないから、部活はいくつか掛け持ちするんです。野球やサッカーも一緒にやりました。彼は運動オンチなんだけど、力は強い。サッカーをやると、トーキックで蹴っちゃうタイプ。話は通じるし、変なヤツという印象はなかったですね。

 趣味は電車、いまで言う“撮り鉄”だったようで、埼玉では有名な高崎線の撮影スポットに行っては、『あそこからだと、いい角度で撮れるんです』と、仲間と嬉しそうに話していた。ヤンキーにはイジられながらも真面目グループでは中心にいる。クラスでいいポジションにいたと思います」

引用元:文春オンライン

 

このころから、撮り鉄が趣味だったようですね。

青葉真司にとっても高校時代はそれなりに楽しい日々を送っていたのではないでしょうか・・・?

 

~青葉真司は高校時代にヤンキーに憧れる。タトゥーを入れる~

普通の高校とは違い、定時制高校ということもあってか、それなりにやんちゃな生徒もいたようで、青葉真司はヤンキー達にイジられながらも、比較的真面目で、クラスの人気者だったそうです。

 

学校帰りに「バイクに乗せてあげようか?」と誘われると「イヤイヤ、自分なんて滅相もない~」と謙遜したことも。

 

また高校2年の時に、同級生の一人が腹にタトゥーを入れてきてそれを見た青葉真司が「かっこいいですね」と尊敬の眼差しをむけていたという証言もあります。

 

青葉真司は逮捕時、腹に刺青があったと報道されていましたが、それが本当ならおそらくその同級生の影響でしょう...

 

卒業式のときも、ヤンキーグループに「皆さんに憧れていました」と話しかけ。寄せ書きも書いたそうです。

 

青葉真司はヤンキー・不良に憧れたあったように感じます。しかし、あまり不良らしい言動は見られません。

あくまで憧れていただけ、真面目な性格だったようです。

 

「学校帰りに『バイクに乗せてあげようか?』と青葉を誘うと、『イヤイヤ、自分なんて滅相もない~』と謙遜していました。青葉の腹に刺青があるとの報道がありましたが、それが本当なら、クラスメイトのBくんの影響だと思います。高校2年の時に、Bくんがヒップホップで有名なアメリカの『2PAC』のマネをして、腹にタトゥーを入れてきたんです。それを見た青葉が『かっこいいですね』と尊敬の眼差しを向けていたのを覚えてる。卒業式のときにも、ヤンチャな僕らに『皆さんに憧れていました』と話してきて、寄せ書きも書いてくれましたよ」

引用元:文春オンライン

 

高校卒業後は郵便局に勤務。後に人材派遣会社に登録し職を転々とする~

青葉真司は高校卒業後、1995年から1998年まで、埼玉県庁文書課で非常勤の嘱託職員として勤務しています。

 

その時は特にトラブルもなく、同僚とも仲良くやっていたそうです。

同時の同僚も「各部署に書類を配る仕事をしていた」と語っています。

 

青葉真司は非常勤職員を退職した後は、人材派遣会社に登録して、コンビニの勤務し職を転々とする日々が続いたそう。

 

父親、妹、兄が自殺。性格が豹変。周囲とのトラブルも絶えなくなる

2009年からは茨城県の郵便局で働いていたそうですが、この頃から周囲とトラブルを起こすようになります。

 

家賃の滞納や、騒音クレーム。

そのほかには窓ガラスや壁が壊されたり、冷蔵庫から液体が溶け出して床に水たまりができたりして近隣の迷惑になるような言動が多く見れるようになりました。

 

昔は、比較的真面目だった青葉真司ですが、この時期を堺に、人間性がおかしくなったように感じます。

 

その原因はおそらく、家族の自殺が原因と推測します。

父親は1999年、青葉真司が21歳だった時に自殺しています。

その5年後の2004年に妹が自殺。2つ年上の兄も自殺しています。

 

青葉真司は生涯孤独の身となってしまったのです。

父親、兄、妹が自殺をした詳しい原因はわかっていません。

 

青葉真司は犯罪に手を染めるようになる

父親、兄、妹の自殺後、青葉真司は感情のブレーキが効かない危ない性格に豹変。

周囲の人間関係を遮断し、犯罪にも手を染めるようになります。

 

2006年には下着泥棒で逮捕。

執行猶予を受けすぐに社会復帰したようですが、2012年にコンビニ強盗で2回目の逮捕をされています。

 

この頃も、大音量でゲームの音楽をかけたり、部屋の壁を叩いたり、意味不明な言葉を叫んだだり、住人との騒音トラブルが耐えませんでした。

 

コンビニ強盗では、懲役3年6ヶ月の実刑判決を受けます。

刑務所内では、異常な行動が見られ、時には大暴れし、他の囚人からも迷惑がられていました。

刑務官からは「危ないヤツ」としてある意味特別扱いをされていたそうです。

刑務所内で口にティッシュを詰めて自殺しようとし、抱えながら房から無理やり連れされた様子を他の囚人から目撃されています。

 

青葉真司は刑務所内で小説を書くようになる。

京アニに火をつけたのは、「小説をパクられた」と青葉真司が妄想とも言えるほどの勘違いがきっかけですが、青葉真司は小説に興味を持ち執筆をするようになったは、刑務所内でのことです。

 

夕方になると、「小説を書きたいのでペンと紙をください」と頼み、熱心に書いていたといいます。

 

「どんな話を書いているのか?」と同じ刑務所内にいた男性が聞くと、「まあ色々」と答えるだけで詳しい内容については教えてくれなかったようです。

 

出所後も近隣とのトラブルが絶えない。恐喝することも。

青葉真司は2016年に刑務所から出所。

逮捕時、無職だったため出所後すぐに職についていたかどうかわかりませんが、一応を社会復帰しています。

 

京アニ放火事件を起こす前に住んでいた埼玉県さいたま市のワンルームに住んでいたようですが、やはりトラブルが絶えなかったそうです。

 

音楽をスピーカーで大音量で流したり、夜には奇声を発して、壁や床を叩いたりしていました。

近隣住民やアパートの住人からも、クレームが相次ぎました。

 

京アニ放火事件の4日前の7月14日深夜、青葉真司が大きな声で奇声を発し壁を叩いていたので、アパートの近隣が気になって部屋の扉をノックすると、青葉真司が勢いよく出てきて、その隣人の髪の毛と胸ぐらを掴み「お前殺すぞ!こっちは失うものは何もないんだ!」と恐喝しています。

この時、恐喝された隣人は「本当に殺されるかもしれない」と強い恐怖と危機感を感じたといいます。

「7月14日の深夜、隣の部屋から“うわぁぁ!”という叫び声がして壁をドンドン!と何度も叩いてきたんです。恐る恐る隣の部屋のドアをノックすると、飛び出してきた彼に胸ぐらと髪の毛を掴まれた。“お前殺すぞ!”“こっちは失うものは何もねぇんだよ!”と大声で繰り返されて……。180センチ近い長身で、でっぷりとした体からはすえた臭いがしました。本当に殺されるかと思いましたよ」

引用元:デイリー新潮

 

青葉真司の人間性はすでに破綻していました。

家族も自殺していて、社会的にも失うことがないため、いわゆる「無敵の人」状態です...

 

上記の近隣トラブルの数日後、青葉真司は京アニへの無差別テロを起こすために京都に向かい、大量殺人事件を引き起こしました。

京アニというより、この世のすべてを恨んでいたような気がします。

 

青葉真司の性格が歪んだのは奔放でクズな父親がきっかけ?

結論からいうと、青葉真司の父親や常識的に考えてありえないくらいのクズ男です。

 

青葉真司の父親は、最初の妻との間に6人の子どもがいました。

父親の本業は農家だったそうですが、それだけでは6人の子供を育てることはできません。

 

食べて行けないため、副業として市議会議員や幼稚園のバスの運転手をして収入を得ていたようです。

父親は、長身でイケメンでモテていたみたいで、幼稚園の保育士さんと不倫関係となり妻と6人の子供を捨てるように駆け落ち。

 

しかも、最悪なのはここから。

前の妻と6人の子供たちが住む土地と家を無断で売っぱらったそうなのです。

 

残された妻子の家に不動産業者が来て、強制的に立ち退きを求められたそうです。

その後父親、知らぬ顔で不倫相手を再婚しています。

 

そして、2番目の妻との間に、青葉真司が生まれました。

兄と妹の間に生まれ、3人兄弟になります。

 

しかし、再婚生活は10年も持たず、奥さんは愛想を尽かし、3人の子供を連れずに出ていきました。

 

父親は金にも女にもだらしない。

青葉真司が中学2年の時、父親は家賃を滞納。

一家全員で逃げるように引っ越しをします。

 

そのころ、父親はほとんど働いておらず、当時交際していた女性のヒモ状態。

金にも女にもだらしない男だったとのことです。

子供達のこともほったらかしで、家はゴミ屋敷状態。

 

そのような環境で育ったため、青葉真司は幼少の頃からどこか影のある性格だったのかも知れません。

 

父親は1999年に事故を起こして怪我をし、タクシー運転手を廃業に追い込まれほどなくして自殺。

20代の頃に兄と妹も自殺しています。

 

それから青葉真司は感情のブレーキが効かなくなり、様々な近隣トラブルを起こし、犯罪にも手を染めてしまいます。

 

まとめ

青葉真司の学歴や経歴についてまとめてみました。

「フィクションか?」と思うほど、壮絶な生い立ちですよね。

 

もちろん青葉真司の大量殺人は決して許されることではありません。

極刑になってもおかしくないです。

 

しかし青葉真司が普通の環境に生まれて、もっと愛情を受けて育てばこのようなことにはならなったと個人的に思います。