歌手や女優として長年にわたって活躍した中山美穂さん。「世界中の誰よりきっと」は累計売上200万枚を超える大ヒットとなりました。
今回は中山美穂さんの若い頃の経歴などを紹介します。
中山美穂の経歴
波乱万丈な人生を送ってきた中山美穂の生い立ちや若い頃の経歴を振り返りましょう。
生い立ち
1970年、長野県に生まれた中山美穂さんは、3歳の時に両親が離婚したことから数奇な人生を歩むこととなります。母親が突然の引っ越しを繰り返すので中山美穂さんは色々な家に預けられることもあり、伯父や伯母など愛情を注いでくれた人もいましたが、中学生時代には家でも学校でも反抗してばかりの不良少女に育ちました。
実妹は3つ年下の中山忍さん、更に自身が小学4年生の時に母が再婚し、12歳年下の弟も誕生しています。テレビでキャンディーズの活躍を見ていた影響で、幼稚園の頃から芸能界や歌手に憧れを抱いていたそうです。
芸能界デビュー
映画や劇団のオーディションを多数受けていた中山美穂さんは、中学1年生の時に原宿でスカウトされ、ノリノリで芸能界に飛び込むことに。なんでも、自身も歌手を志し、当時まだその夢を捨てていなかった義父からは「お前が先に芸能界に行くのか」と驚かれたそうです。
芸能界に入って最初の仕事は雑誌の懸賞ページの写真モデル、その後広告やポスターなどのモデル活動やCM出演などをこなしました。中学卒業後は定時制高校に進学するも、芸能活動を優先するために中途退学しています。
1985年に女優デビューと歌手デビューを達成
1985年、TBS系ドラマ「毎度おさわがせします」でツッパリ少女「のどか」の役で女優デビューを果たし注目を集めると、同年6月のTBS系ドラマ「夏・体験物語」で主演、更に同作の主題歌でアイドル歌手デビューも果たしました。これがヒットし、一躍トップアイドルに駆け上がると、以降も主演ドラマの主題歌を自ら歌い、女優と歌手を両立させるアイドルの先駆者となりました。
当時の中山美穂さんはまだ15歳、ですが大人びた容姿もあいまって、当時の美人の代名詞的存在となっていました。
芸能界で華々しく活躍
以降の中山美穂さんも、歌っては好セールスを連発、ドラマに出ては高視聴率を連発と世を席巻、「ブラウン管のクイーン」や「アイドル四天王」の異名を取りました。他の同世代のアイドルが女優やバラエティアイドルへと転向を図る中でも、自身は歌手業と女優業を両立、フジテレビの月9ドラマに数多く出演し、「世界中の誰よりきっと」「ただ泣きたくなるの」などの曲でオリコン1位を獲得しました。
映画では1995年公開の「Love Letter」での演技が高く評価され、報知映画賞主演女優賞やブルーリボン賞主演女優賞に輝きましたよ。
中山美穂の結婚歴は?
中山美穂さんは2002年にミュージシャンで小説家の辻仁成さんと結婚されています。馴れ初めは雑誌の対談で、その際に辻仁成さんから中山美穂さんに「やっと会えたね」と声をかけ、中山美穂さんも「もしかしてこの人がパートナーなのでは」と思ったそうです。
ただ、二人の対談は、実は辻仁成さんの希望で実現したものだと言われています。パリの空港で中山美穂さんを偶然見かけ、それ以来ずっと気になっていたのが理由なのだとか。こういった運命とも必然とも呼べる経緯で結ばれた二人ですが、2014年に協議離婚が成立しています。
子どもは一人
お子さんは一人、辻十斗さんが2004年1月にフランスで誕生しています。中山美穂さんはお子さんを出産した後はしばらく育児に専念、結婚以降芸能活動を一時休止していたこともあり、2005年6月にメディア出演した際には3年ぶりのメディア出演でした。なお、離婚後はお子さんの親権は辻仁成さんが持っています。
最後に
今回は中山美穂さんの若い頃の経歴などについて紹介しました。数々の名曲を遺し、数々の名作に華を添えてきた中山美穂さん。御冥福をお祈りします。